- 人をうまく褒められなくて困ってる
- 批判的な態度をやめ、肯定的になりたい
最近でこそ、周りの人から「(言動が)見た目に反してマイルド」とか、「表現が意外と優しい」とか「愛のある毒舌家」とか「芯があるのに甘い声(←なんのこっちゃ)」とか「丸くなった(←外見のことではないことを祈る)」とか言われる私ですが、今振り返ってみると、過去にはなかなか乱暴な表現を使うことが多かったな、と感じます。
今でも唐突に出る罵倒の言葉になぜかテンションがぶち上がる人も少なくはないので、一概に口が悪いのが悪だとはいいません。
が、普段から「言葉がキツイ」とか「口が悪い」と言われていて、表現をマイルドにする方法を探している方がいるなら、このエントリを参考にしてみてください。
あそび師Kai
意図的に言葉をマイルドにする方法
私の場合は、姪っ子たちが言葉を覚え始める頃、私の言い回しを真似だしたのを見て「あ。これじゃマズい。」と感じたのが、表現を柔らかくするきっかけでした。
たとえば、気をつけ始める前はこんな表現を使っていたんですよね。
- 「(うっわ)○○じゃねーか」(ドン引き)
- 「(すっげぇ)○○だな。」(評価)
- 「(ってか)○○じゃん。」(断定)
- 「(だーから)○○だろ。」(指導)
こう並べてみると、語調の強さもさることながら、全体的に、どこか否定的に響く言葉を多用していましたね(苦笑)
この私の表現が「口が悪い」部類に入ることに気付いたのは、大学に入って方言圏出身の友人たちと話している時でした。「私の言葉遣いが悪い」というよりも、「方言て優しいな」と感じたのを覚えています。
上記のフレーズたちも、今となっては「女がそんな言葉遣いをするな」と批判を浴びそうな言葉遣いだとわかりますが(苦笑)東京都の中でも、特別「がらっぱち」な口調で有名な下町生まれの私ですから、子供の頃からこういった言葉を使う人たちの中で育ってきたため、この時はまだ、(違和感に気付きはしたものの)改めて「言葉遣いをなおそう」という発想には至りませんでした。
そんな私の元に姪っ子たちがやってきてから。私の使う表現にこんな変化が生まれました。
否定型フレーズ→共感型フレーズへ
「(うっわ)○○じゃねーか」(ドン引き)
→「うわー○○だねぇ」(同情)
「(すっげぇ)○○だな。」(評価)
→「とっても○○だねー」(賞賛)
「(ってか)○○じゃん。」(断定)
→「そうなのー?でももしかしたら○○なんじゃない?試してみよっか!」(提案)
「(だーから)○○だろ。」(指導)
→「そうだったかぁ。じゃあ次は○○にしてみようね。」(応援)
客観的に見ると、随分と「折れる」ことが上手になったなと感じます(笑)私自身は下町気質であまり辛抱強くない方なのですが、子どもと接していると、「思い通りにならないなぁ;」と感じるシーンに沢山遭遇します。彼らは感情もストレートですから、こちらが嫌な言い方をすれば素直に「嫌だ」とへそを曲げます。
でも、冷静に考えてみればこれって対大人であっても同じお話。
大人になればなるほど、世間体やプライドが邪魔をしてストレートに表現しなくなる、という傾向にあるだけで、大人だって、心無い言葉を受けて不快に思ったり傷ついたりしているのです。
そんなようなことを悟ってからというもの、だいぶ表現が優しくなったんじゃないかなぁ…なんて自己評価しています。
二人称「あなた」の話をやめて、一人称の「私」の話をしよう
とはいえ、世の中いいやつばっかりじゃありません。
あるいは、相手が不機嫌だったり、対立してしまうようなケースはどうしてもあります。
そんな時って、普段は気をつけている人でもついつい表現が荒くなったりしませんか?
そう、次は嫌なことを言われた時、の対応方法です。普段はあなたはどう対応していますか?
私はいかんせん負けん気が強いため、昔から真っ向対決を挑むタイプです。
あそび師Kai
なので、たとえ上司や目上の人であっても、「なんでそういう言い方なんですか?」とか「その言動は納得がいきません」みたいな言葉を発しがちでした。(流石に表現は丸めますが)
これを、幼子たちとの会話でもやってしまうと、いよいよ相手がへそを曲げてしまってお話になりません(笑)
そんな場合は「そんな言い方をしたら(私が)悲しいよ。」とか「おや、意地悪な言い方だね…喧嘩したくて言ってるの?」という風に、「相手を批判」する言い回しではなく「私の心境を伝える」言い回しに変えてみると良いと思います。
ビジネスシーンに当てはめてみると、例えば上記のシーンで私が言うべきなのは「どういう意図で仰っているんですか?」といったような意向確認ですね。
相手がまともな人であれば、「言い方が良くなかった」と改めてくれる場合もありますし、言動の理由が知れれば、こちらも対処することが可能です。
不快な発言を受けたときには、(相手が大人でも子供でも)「(この言動は)自分にとってはこういう意味を持つんだけど、あなたにとっては違うの?」という確認作業が必要だと思うのです。
悪口を丸める
3つめは利用する語彙のお話です。「馬鹿」とか「アホ」とか「嫌い」とか、そういう言葉を子供たちの前で使わないように意識しました。
この手の悪口は、結局小学生くらいになれば結局テレビや学校で自然と覚えてくるものなのですが、それ以前に無駄に沢山触れされる必要はないと、私の一族は考えています。
そのため、子供たちが生まれる前は「ばっかじゃねーの」とか「これ嫌い」とか言っていた私ですが表現を意図的に丸めた結果「それってヘンテコだね(笑)」とか「これ苦手ー;」とか「好きじゃない」みたいな言い回しを使うようになりました。
常日頃からこういった言葉を使うようになった結果、基本表現が優しくなったようで、「Kaiのフレーズは、自分に正直で良いよね」という評価を得るようになりました。今まで「死ね!」といっていたシーンで「次やったら絶交だからね!」みたいな表現が出てくる事実に、自分でもちょっと笑えます。
相手を批評・批判するより、ストレートに賞賛を伝えよう
ここまでは、かつて使っていた悪台詞をいかに丸めたか、というお話ですが、実は褒め言葉の使い方も変化しました。
姪っ子たちが生まれてからというもの、とにかく人を「褒める」シーンが増えたんですよね。
日本文化においては、評価というのは上から下にくだすものであって「目下の人間が目上の人間を褒めてはならない」という暗黙の「常識」が存在します。でも、褒められて嫌な人って、本当はいませんよね。
先日@はっしーさんのこちらの記事を読んで、実は同じように感じている人って世の中にたくさんいるんだなぁと実感しました。
まとめ
ちょっぴり支離滅裂になってしまいましたが、言いたいことは簡単です。
子供が嫌なことは大人も嫌、子供が喜ぶことは大人だって嬉しい
議論をする時は自分の感情をストレートに伝えよう
賞賛の言葉も素直に伝えたらいいじゃない
「それでもやっぱり目上を褒めるのは…」と感じるあなたにはこのフレーズがオススメです。
あそび師Kai
ちなみにこれ過去に何度も言ってみたことがありますが、笑われこそすれ怒られたことは一度もありません。
これぞ、「やさしいおとなの(褒め)殺し方!」笑